会津 AIZU
若松城(鶴ヶ城)
若松城(鶴ヶ城)・飯盛山白虎隊十九士の墓・旧滝沢本陣・近藤勇の墓・妙国寺

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彼らが目にしたものは想像を絶する光景だった。
飯盛山から見る鶴ヶ城の燃える炎。
心身ともに疲れ果て、
もはや城と運命を共にするしか道はなかった。
有名な会津藩士白虎隊の悲劇はここから始まった・・・。

国指定史跡若松城跡 若松城(鶴ヶ城)
若松城は、今から600年ほど前に、 その前身とも言える東黒川館を 芹名直盛が築いたのが始まりといわれています。 慶応4年の戊辰戦争では、 約一ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えて、 難攻不落の名城として、 天下にその名を知らしめました。
その城も戊辰戦争の6年後に取り壊されましたが、 市民の要望などもあって昭和40年には現在の天守閣が再建され、 閣内を博物館として、貴重な郷土資料を数多く展示しています。
飯盛山
白虎隊十九士の墓
戊辰戦争の際に城下にあがった火を落城と思い込み 白虎隊が自刃した地として知られる。
その白虎隊十九士の墓がここにあり 広場中央には高さ約8mの記念碑が立つ。
墓前には絶えず線香が焚かれ参拝者が絶えない。
付近には後世に語り継ぐため白虎隊でただ一人生き残った 飯沼貞吉の墓もある。
現在はスロープコンベアで参拝することができ ここからは会津市内を一望できる。
国指定史跡・国指定重文
旧滝沢本陣
かつて参勤交代や領内巡視の際の 藩主の休憩所として使われていましたが、 戊辰戦争では藩主容保公が、 前線激励の為ここを本営とし指揮をとりました。 この時護衛にあたっていたのが白虎隊です。

近藤勇の墓
戊辰戦争の際、会津藩に参加して戦った新撰組の近藤勇の墓が 愛宕山の中腹に立てられています。
妙国寺
戊辰戦争が終結した後も 白虎隊の亡骸がそのまま放置されていることを哀れみ 滝沢村の吉田伊惣治が 西軍の目を盗んで最初に埋葬した寺である。

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